クリスチャン 証

神様の基準【聖さ】

人が思う基準と神様の基準は違います。
神様は本当に聖いお方です。

「すべての人との平和を追い求め、また、聖められることを追い求めなさい。聖くなければ、だれも主を見ることはできません」ヘブル12:14

「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたも悔い改めて子どもたちのようにならない限り、決して天の御国には、入れません」マタイ18:3

・ほとんどの罪は悔い改めたから、少しくらいは残っていても大丈夫
・他の良い行い、働きをしているから・・・
・思いの罪くらいなら多目にみてくださる
人との関係においては普通に思ったりすることですが、御言葉から見る神様の基準は人の考えとは違うことを思います。

自分にとって衝撃的な証は
・その日の朝までは天国にいけるはずであった方が、姦淫の罪により、地獄へ行ってしまった兄弟のこと。
・貧しい人を助けるために勤務先の病院から薬を手配し(盗み)、それをやめなかった姉妹も地獄へいってしまったこと・・・神様は何度もそれをやめなさいと語っておられたそうです。
どのように敬虔に見える、また忠実な働き手であったクリスチャンであっても、日々の悔い改め以外に罪の赦しはないことを私に警告してくださっていることを思います。

聖く生きていくことには困難が伴う時代でありますが、神様の目から見てしみも、しわも、傷もないキリストの聖なる花嫁として御前に立つことができるように、瞬間ごとに歩んでいけますように。

「キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、ご自身で、しみや、しわや、そのようなものの何一つない、聖く傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです」エペソ 5:26、27







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