「なまぬるく」ならないように、神様も時には試練も許されますが、そのような事があっても試練の時にだけ神様にすがり、それが解決すると自分の思いでやろうとする、この世界の中で生活することを優先とする、そのようになりがちです。
なまぬく生きないためには、常にうえ乾いて求めることが必要であり、かなり意識してないと世に合わせた生き方に自然と流されていくことを感じます。心が痛み少しずつしか見れませんが、心を引き締められるために、見ることがあります。https://www.youtube.com/watch?
地獄をみせられることの意味の一つは、すべての人が救われなければならないことと同じく、なまぬるさから抜け出すためでもあることを思います。心を引き締めていく必要があります。
本来、私自身がいくべきだったところ(罪の結果である永遠の死)であることと、数知れない拷問があり、決して出ることができないところ、憐れみも許しも一瞬も休みもないことを見る時、どのような方であっても、このようなところへは決して行かないように、救いを伝えていかなくてはいけない。自分自身も聖く生きていかなくてはいけないことを強く思います。
常にイェス様の十字架は自分のためであるという、原点に帰り、永遠の命に感謝して、それにふさわしい生き方をし、いつも目を覚ましていることができるように。