クリスチャン 証

賛美のこころ

どのように賛美を捧げたら良いのか、他の方にあてはまるかわかりませんが、私には3つのポイントがあることを学びました。

①主を見上げて、天国にいる気持ちで賛美をする。
  このことは以前、牧師先生も言われていたと思いますが・・・
  私の場合、黙示録にあるように大勢の人々が主を見上げている光景を思い浮かべ、
  神様を愛する方々と一緒に賛美していることを想像する

②賛美の歌詞を御言葉に合わせる
  賛美をしている歌詞が、ある御言葉と合わさったときに、  
  主のこころと一致したことを感じ、感動します 
  (以前は、歌詞はメロディのみ気にかけていたものでしたが、)

③手を挙げる
  手を高くまっすぐに、前に向かって上げるように示さたように思ったので、最近
  やってみました。主の臨在を感じることができます。
    以前は、形式的なことには否定的で、手をあげることもできなかったのですが、
  手の上げ方と言うよりは、主を強く求める思いが重要ではないかと思います。

これらが合わさる時に、感激の涙がでます。以前は毎週泣いておられる方を見て、不思議な思いでしたが・・・悲しい涙でもなく、嬉し涙でもない涙・・・主が触れられた体験を自分もできたことが素晴らしいし、感謝です。この臨在のうちにいつもいることができますように。

主と一つ心になる

主と一つ心となるとは、難しいことではあるが、すばらしいことだと思います。
自分の思いとは関係なく、「やりなさいと言われればやります」「やってはいけないといわれれば、やりません」「ただ主の思いに従順します」という心となるときに私の中に主がおられるということがわかります。歴代誌の御言葉通りで、その思いの時に私を通して、神様の力が現されるんだという信仰も与えられました。

自分の肉に死んでいくときに、この方にお委ねするときにそのことがなし得ていくことを思います。他の人は関係なく、神様と私との関係だけがそこにあり、たとえ、その思いが小さかったとしても、一つ心となりたいという思いを主はご存じです。
「主に喜ばれる」「神に喜ばれる」で検索すると多くの聖句がヒットします。読んだことのある箇所ではあっても改めて神様に喜ばれるものとなりたいという思いで、読み、実行できますように。


 主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです。Ⅱ歴代誌16:9

そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。
そうすることは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることなのです。 Ⅰテモテへの手紙 2:1,3

 こういうわけで、私たちはそのことを聞いた日から、絶えずあなたがたのために祈り求めています。どうか、あなたがたがあらゆる霊的な知恵と理解力によって、神のみこころに関する真の知識に満たされますように。
また、主にかなった歩みをして、あらゆる点で主に喜ばれ、あらゆる善行のうちに実を結び、神を知る知識を増し加えられますように。  コロサイ1:9-10