クリスチャン 証

主が準備してくださいました

急に来た仕事の依頼で、どうしようかと、心が重たかった午前中。昼に祈りました。
午前中は、気が乗らず手を付けようという気にさえならなかったのですが、
そんな状態であったにもかかわらず、午後から私自身を動かしてくださいました。
様々なアイデア、他の方のご協力もいただき、無事終えることができました。

今年の途中くらいから、自分の必要より、先に神様ご自身を求めることがわかってきました。
今までは、「自分の○○をしてください」ばっかりだったのに・・・
わたしのことは、すべて神様はご存知だから、主の祈りにあるように御名をあがめること、
御国の臨在が来ること、御心がなることを求めること、主の霊で満たされること
を中心にしていると、本当に御言葉通りに必要が与えられる体験をしてきました。
まさに今日もその通りです。御言葉の体験⇒信仰が深められます。

さばいてはいけない

自分の中の弱さの一つに人をさばくことがあります。

その時、二つの反応があります
①思いをすぐに、やめること(追い出すこと)
②他の人に悪口を言ってしまう、あるいはその思いの中に浸ってしまう

以前よりは、①のことが、多くなりましたが、、
②の時に、主が語りかけてくださっているにも関わらず、
そのまま止めれないこともあります。

主が「さばいてはいけません」と、言われているのだから、
どのように小さいと思えるような裁く気持ちも、悔い改め、
清くなれるように、
そのように思えてきていることを感謝します。

感情ではなく、意思を働かせられるように。

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「さばいてはいけません。さばかれないためです。あなたがたがさばくとおりに、
あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです」
                               マタイ7:1~2

「ですから、あなたがたは、主が来られるまでは、何についても、先走ったさばきをしてはいけません。主は、やみの中に隠れた事も明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。そのとき、神から各人に対する称賛が届くのです。」    Ⅰコリント4:4

律法を定め、さばきを行う方は、ただひとりであり、その方は救うことも滅ぼすこともできます。隣人をさばくあなたは、いったい何者ですか。      ヤコブ4:12


 ですから、すべて他人をさばく人よ。あなたに弁解の余地はありません。あなたは、他人をさばくことによって、自分自身を罪に定めています。さばくあなたが、それと同じことを行っているからです。    ローマ2:1



奉仕するときの心

奉仕することは良いことだが、
どういう思いでしているのか、動機について、考える事が多くなりました。

人の目を意識したり、人からの賞賛を求めていることが多い。
又、最初は正しい思いであったとしても、知らない間に自分自身の世界に入ってしまい、
奉仕自体で心がいっぱいになってしまうことが多々あります。
主のためだけにしているのかどうか、主の栄光を現しているのかどうか
気をつけていかなければならない。
そのことを学ばさせていただいているところです。
まだまだ不純な思いがあるので、
すべてご存知の神様の前に正しく歩んでいけるように。


造られたもので、神の前で隠れおおせるものは何一つなく、
神の目には、すべてが裸であり、さらけ出されています。
私たちはこの神に対して弁明するのです。(ヘブル4:13)

人間関係の祈り

本日も祈りの力が注がれました。
特に、会社で身近に出会う方との関係、
○○さんとの関係が守られるように、
又、○○さんへの執り成しの祈りをさせていただき、
その日のうちに、良い関係が与えられていることを感じます。
エレベーターで出会って、話す機会が与えられたとか、
FAXを届けにきてくださったとか・・・小さいと思えますが、
1つ1つ祈りを聞いてくださっています。神様ありがとうございます。

祈りの力が注がれる

この1週間は、とても祈りの力が注がれています。
今まで祈れなかった時間帯、昼、夕方にも集中しています
夜は特に集中できます。祈りが聞かれていることが実感でき、
聖霊様がうちにおられることも感じます 感謝!
   

本当の救いの価値

2016年私に悟らせてくださった大きなことの1つが本当の救いの意味とその価値の大きさです。

洗礼を受けて30年になりましたが、いままで知識では知っているが、救いの本当の意味があまりわかっていませんでした。おととしくらいから、イェス様の十字架と復活が自分のためであることを御言葉、メッセージを通してわかってきました。
2016年はさらにイェス様の十字架がどれほどの愛をもってなされたことなのかを深く知ることができました。
そのため日々①徹底的な悔い改め ②神様を自分の主人として歩んでいくこと、そのことが救いを達成するための道であり、生涯かけて求めていかなければならないと思います。
どんな小さいこと(言葉、行動)も主は見ておられることを意識し、きよく生きていくことを求めるようになりました。価値観が変えられてきてきたことを本当に感謝します。

そういうわけですから、愛する人たち、いつも従順であったように、私がいるときだけでなく、私のいない今はなおさら、恐れおののいて自分の救いの達成に努めなさい。 ピリピ2:12